『大好き』と向き合ってみた
皆さんお久しぶりです。初めましての方ははじめまして。
そーすいと申します。
まず初めに、優木せつ菜ちゃんお誕生日おめでとうございます!!!!
みなさんのお祝いの気持ちで溢れるこの日に、
せつ菜ちゃんが『大好き』だと言う気持ちが溢れるこの日に、
『大好き』を広めたい彼女の野望の後押しが出来たらと思い筆をとりました!
推シンパシー論
まず大前提として
『大好き』に理由はいらない!
(おいおい論とか言ってるのに言ってることちゃうやーん?)
とは思うのですが、なんで自分がこの『優木せつ菜』に惹かれたのか、自分がなんでせつ菜ちゃんを『推し』と呼んでいるのかと、自分の気持ちを文字に起こしてみることで、もっとせつ菜ちゃんについて
『推し』ってなんだろうなって考えてμ'sの花陽ちゃん、Aqoursの黒澤姉妹を今一度好きになった、推しになった時の自分の気持ちを考えてみようと思いました。
そして自分の中で出た一つの答えは
『自分と似ている娘が、一歩先へ進む姿から勇気を貰える。その娘の背中を押してあげたくなる。そして推しになる。』
です。
境遇だったり、思いだったり、なにかしら自分と似ている娘にシンパシーを感じて、感情移入をする、背中を帆船の帆に風当たる風のように、その娘推進力に、その娘のチカラに少しでもなりたいって思えた時に、『好き』から『推し』になるのかなと思いました。
自分に似ている娘にシンパシーを感じて不思議と目がいっちゃっていたり…
花陽ちゃん推しであった僕が、Aqoursではダイヤさんを、ルビィちゃんを推しって言えるようになったのは多分そう言うことなんだろうなって。
『大好き』を押さえつけていた、踏み出せなかった娘が、『大好き』を曝け出して、たまには暴走しちゃう時すらもその姿が愛おしくなったから、自分も同じような経験をしていたことが無意識に目を引いていていつのまにか『推し』になっていたのかなと思います。
優木せつ菜ちゃんだってそう。
『大好き』なことができない環境で、『大好き』なアニメやスクールアイドルをできない時間が本当に辛そうで、そして認められた姿が本当に自分のことのように嬉しく思ったのも、シンパシーを感じ、感情移入できたたからかもしれません。
昔、学生の頃とか「オタク」っていうだけで虐められる対象になってしまう事があるから隠さなきゃいけないみたいな経験を少なからず経験した人もいるかもしれないと思います。
そういう人には共感してもらあるかもしれないですね…
『大好き』を抑え込んじゃっている娘の辛さも、
『大好き』を暴走しちゃうぐらい楽しめてる楽しさも、知ってるからこそ応援したい!と思ったから、自分は優木せつ菜ちゃん推しになったのかもしれないです。
ほぼ自分語りになっちゃいました…
でも伝えたいことは、初めから言ってる通りです。
『推し』って言葉の使い方は本当に人それぞれで、否定なんて誰にもできません。
何度も言いますが、『大好き』っていう世界で一番素敵だと思う原動力に理由はいらないんです。
でも、その気持ちをちょっとでも振り返って自分の中で咀嚼できたなら、もっとその娘のことを『大好き』って思えるきっかけになるかもしれません。
『大好き』を『大好き』なまま、『大好き』って歌えるように、叫べるように、
みんなの『大好き』で溢れる世界を目指す僕の『推し』の1人である優木せつ菜ちゃんの野望を叶えるお手伝いを、背中を押してあげたいです。
もしよかったら、今日というこの日にみなさんも自分の『推し』への『大好き』って気持ちを世界に広めましょう!
そして優木せつ菜ちゃんの野望を叶えてあげましょう!!